2011年3月31日木曜日

Regent's Park

シュタイナーハウスの後は、すぐ傍にあるRegent's Parkを散策。

先月訪れた時はまだ何も咲いていなかったのですが、今は花盛り!

モクレンをはじめ、様々な花木が色鮮やかに咲き乱れていました。

今は水仙がピーク。

流石ガーデニング大国・英国だけあって、品種も様々です。

こちらは、白いヒヤシンスの花壇。
甘く上品な香りが漂って来ます。

いよいよ春本番。
イギリスの美しい風景を沢山撮って、
ブログをご覧の皆さんにも自然のエネルギーをお届けしますね。

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2011年3月30日水曜日

ルドルフ・シュタイナーハウス

今年のバイオダイナミックカレンダーを入手すべく、ロンドン市内にあるルドルフ・シュタイナーハウスへ。

外観、内装、共に曲線が取り入れられた、シュタイナー建築。
壁の色は、ピンクやグリーン、紫など、淡いパステルカラーで統一されています。
冷たいコンクリートの建物なのですが、丸みを帯びた階段の手すりがしっくりと手に馴染み、優しさとぬくもりが感じられます。
まるで母親の胎内にいるような安らぎを感じさせてくれる、不思議な空間でした。

書店の奥にある食堂の壁には、シュタイナー教育でよく取り入れられるにじみ絵風のタペストリーが飾られています。

食堂のメニューは、ストイックめのベジタリアン料理。
バイオダイナミック野菜をふんだんに使用した、究極のヘルシー料理が堪能出来ます。

ところで、これは果たして何という料理なのだろう。。。
マッシュ状にしたジャガイモやキャベツの上に、ピリ辛トマトソースと皮付きのままローストした人参が乗っています。
味付けがシンプルで薄味な分、野菜本来の甘味や旨味が感じられました。

ビーツジュースと共に。。。

書店には、膨大な数の人智学関連の書籍、画材、食品、化粧品など、シュタイナー関連の商品が販売されています。

目的のバイオダイナミックカレンダーと、バイオダイナミック農法の実践本、デメター認証付きバイオダイナミック玉子を入手。
このところ忙しくてすっかりタイミングを逃してしまいましたが、ロンドンも漸く暖かくなってきたので、そろそろ種を蒔き始めます。

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2011年3月29日火曜日

アーモンド満開。

家の近所で満開となった桜の木。
日本の一般的な桜とは少々枝ぶりや花の付き方が異なるのですが、幹の模様から推測して、恐らく桜の一種かと思われます。

→その後、「アーモンドでは!?」というご指摘がありました。確かに!カリフォルニアでよく目にしたアーモンドの花と一緒だわ!
そういう訳で、アーモンドに訂正させて頂きます。


ほのかに漂う桜に似た香りに、哀愁をそそられます。

こちらは既に葉桜となっていますが、少し濃いめのピンク色。

日本の桜とは、もうかれこれ6年以上ご無沙汰の状態。
つくしや蓮華の咲く春の野道を、いつか我が子にも歩かせてやりたいものです。

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2011年3月25日金曜日

3月20日。

11日から18日は、ほぼ家に缶詰状態。
週明けからは、子供達の初登園、初登校(引越し以来、空き待ちでずっと家に居た)を控えていたので、
制服などの買い出しで週末は久し振りに買い物に出掛けた。

様々な人種が行き交うロンドンの超大型ショッピングモール。
あらゆるブランド店が並び、物で溢れていた。
被災地とのギャップの余りの激しさに、一瞬頭がボーッとなった。

買い物からの帰り、吸い寄せられるように入った近所の寿司店。
扉を開けると、
「今日はテーブルが満席で、カウンター席のみになります」
と言われ、家族4人カウンターに並んで座った。

店内を見回すと、来店客は半分以上が現地の人々だった。

黙々と寿司を握る板前さん。
別のカウンター席には、単身赴任者らしき日本人男性が、携帯電話の画面を見ながら定食を食べている。

初めて寿司店のカウンター席に座った子供達は、魚の並んだショーケース越しに板前さんの包丁捌きを食い入るように見ながら、
「うわ〜!お魚切るの上手だね〜!!」
などと無邪気に話しかける。
無表情だった板前さんの顔が一瞬ほころんだ。

私達と同郷の板前さん。
関西訛りで交わした会話の中に、地震の話題が出てくることは最後までなかった。

カウンター奥の古いラジカセから流れるメロディーは、70年代のヒット曲『あなた』
福島の郡山支社に勤務していた時、会社の上司や同僚と連れ立って行ったカラオケでよく歌った曲だ。
私が生まれる前のヒット曲が、いつの間にか私にとっても懐メロになっていた。

店内には、温かくて平和な空気が流れていた。
まるで二つの故郷に帰って来たような気分だった。

月曜日ー。
初めて登校したイギリス現地校で、息子はクラスメイト達から大歓迎を受けた。
どうやら、事前に先生が息子の名前や出身などを生徒達に説明してくれていたらしい。
クラスに日本人は息子ただ一人。
様々な人種の子供達が集まるこの学校は、外国人の生徒の受け入れ態勢も整っている様子で、
息子が新しい環境にスムーズに馴染めるよう、一つ上の学年から日本人の男の子を引き入れ、
暫く息子の傍でサポートをするよう促してくれた。


何気ない日常が、今、本当に幸せで有り難く感じられる。
生かして頂いていることに感謝して、東日本大震災で亡くなった方達の分も、精一杯生きたい。

2011年3月22日火曜日

頑張れ福島、頑張れ東北、頑張れ日本!!

皆様、ご無沙汰しております。
ご存知の方もおられるかと思いますが、
この度の震災では、かつて私が働いていた福島であのような事故が起こり、
情報確認や知人とのやりとりで、連日テレビとPCから離れられない状態でした。


この度の東日本大震災で亡くなられた方へ、
心よりご冥福をお祈り致します。
そして被災された方々が、一日も早く心の平安を取り戻されることをお祈り申し上げます。


私は過去に、福島県内の某ローカル局に勤めていたのですが、
新人時代、上司から言われた言葉が今になって蘇ります。

「福島には原発があり、その傍で暮らしている人々は、常に危険と隣り合わせの生活をしているんだ。そして私達は、いざとなったら全社員が報道部員となり、職務を全うする責任がある。そのことを肝に銘じて、しっかり勉強しておくように」

そう言われ、取材がない時は地元誌の原発関連の記事のスクラップを始め、
関連書籍を読み漁っていただけに、
今回このようなことになってしまい、居ても立ってもいられない状態でした。

現役時代は、福島は勿論、東北各県を取材で飛び回り、
沢山の地元の方々との出会いがありました。
その殆どは一期一会でしたが、
私にとってはどれもこれも大切な思い出ばかりで、
「あの時のあの方はご無事かしら」「あの場所は今頃どうなっているのだろう」
などと、今も気になって仕方がありません。

距離は離れていますが、何か自分に出来ることはないかと思い、
以前お世話になった福島の某農業団体のウェブサイトに駄目もとでメールをしてみたところ
お返事を頂きましたので、そのやりとりをここで一部ご紹介させて頂きます。

〜3号機への放水が終了する前日の3月17日、東北地方が一段と冷え込んだ日〜

****

◯◯会 H様

(前略)

その節は、大変お世話になりました。
取材の最後に炬燵を囲んで頂いたお料理の美味しさと、何とも言えない幸福感、
今でも忘れておりません。

私は6年前に退職し、今主人の仕事の都合でイギリスで二児の母
(お腹にもう一人おります)をしております。

この度の地震で皆さんのことを思い出し、
日本の美しい古里を思いつつ、涙が溢れました。

皆さん、いえ、出来れば福島中、東北中の農業に携わる皆さんにお伝えしたいことがあります。

決して希望をお捨てにならないで下さい。

これからの日本を立て直すには、皆さんが長年培われた農業の技が必要です。

将来の日本を担う子供達を、このまま飢え死にさせる訳にはいかないのです。

日本に耕す土地がある限り、耕し続けて下さい。

下記のサイトによりますと、放射能には味噌などの大豆類とワカメなどの海藻類を一緒に採るのがとても良い
そうです。

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

福島は特に、ゆず味噌など、味噌を使った郷土料理が沢山あり、
普段からそうしたものを食されている皆さんの体は、
自然の恵みで既に守られ、これからも守られることと信じております。

今、海外のニュースでは、
「日本では何故このような極限状態の中で略奪が起こらないのか、
配給の列にきちんと並び、避難所で食べ物を分け合っているのか
日本人は冷静で秩序正しく、いざとなれば皆で助け合う、素晴らしい人達だ」
と報じられています。

避難所で輪になって暖を取り、取材で訪れたアメリカ人女性記者におせんべいを振る舞うおじいさんの姿を見て胸が熱くなり、
皆さんのことを思い出しました。

こうした昔ながらの日本人の心を残されている東北の皆さんの姿が、
今、世界中の人々の心を動かしているのです。

どんな辛さにも静かに耐え忍ぶ、日本の侍魂、東北人魂を誇りに、
何としてでも生き抜いて下さい。

私は母として、これからどんなことがあっても子供達を守り抜き、
日本立て直しに貢献できるような人間に育てるつもりです。

それでは、
またいつの日か、お目にかかれることを楽しみにしております。


****

メールを頂きまして本当にありがとうございます。
WEBサイトの担当をしておりますHと申します。

◯◯会で生産している主要な方に頂きましたメールを
ファックスいたしました。大変励みになります。

これだけ広い範囲で揺れた地震はかつて経験したことがありません。

この周辺は地震で窓が外れたり、棚のものが落ちたりということは
ありましたが、けが人などは分かっている範囲では幸いございませ
んでした。

海沿いの町は壊滅的な被害が出ていて、加えて原発事故で大騒ぎに
なっております。滝桜で有名な三春町にも
たくさんの人が原発避難域から避難してきています。

白河では、土砂崩れで10数名の方がなくなりました。

原発事故による電力不足で、計画停電など戦後にあったような話ら
しいです。

もっと悲惨なところがあるので、まだよかったと捉えて頑張るよう
にしたいと思います。

「◯◯会」窓口担当H様

****

そして、元職場でお世話になった先輩男性社員達からもメッセージが。

****

「17日から、19時から四時間半福島ローカル放送始めました。18日は19時から24まで五時間福島のためにやります。やりがいに満ちています。」(報道部員)

「今から報道部員として福島に向かいます」(東京支社営業社員)

「今は営業の私も地震以降、報道部の応援です。原発の問題は現在も命がけのミッションが続いていて予断を許しません。
くじけそうになっている人たちも大勢います。町じたいがなくなろうとしています。
でも立ち直らなければなりません。
福島への想いが集まれば集まるほどパワーに変わります。
応援してください。」(郡山支社営業社員)

****

命がけで原発事故現場の作業に当たられた作業員の方々はじめ、
救援隊など、様々な形で職務を全うされた方々。。。

見えない恐怖を抱えながらも、地元を愛し、力強く前へ進もうとされる皆さんから、
「勇気」と「希望」を持つことの大切さを教えて頂きました。

そして、自然と共に美しく生きる東北の人々から、
本当の豊かさとは何かを教えて頂きました。

東北はいつの日か必ず見事に立ち直ると、確信しています。

今の私を育てて下さった東北の皆さんに、心から感謝を申し上げると共に、
一日も早く平和な生活が訪れることを、お祈りしております。

2011年3月11日金曜日

ニジマスの香草グリル

イギリス人はアメリカ人に比べて魚を好んで食す人が多いせいか、お店で扱う魚の種類も多く、回転率も良いせいか新鮮な状態で手に入ります。
日本人の私にとっては嬉しい限り。

この日は、ニジマスの香草グリル。
オリーブオイル、レモン汁、タイム、パセリ、シャンパンビネガー、塩こしょうを混ぜ合わせ、腹の中と表面に塗り、オーブンで焼きました。
皮はパリっと芳ばしく、中の身はふんわりと仕上がりました。

ピラフと温野菜を添えて。
ワンプレートディッシュにしてしまえば、洗い物も楽チンです♪

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2011年3月10日木曜日

Pancake Tuesday

三週間程前、Borough Marketの玉子売りのおばさんから、しきりに
「この玉子でパンケーキを作ったら美味しいわよ!」
と勧められ、何故オムレツでなくパンケーキなのかという疑問をブログ上で綴っていたこと、覚えておられますでしょうか。

実はその後、ヨーロッパにお住まいの方から
「もしかすると、3月8日のパンケーキテューズデーにちなんでのことでは!?」
というメールを頂戴しました。
なんでも、イギリスには復活祭前の四旬節の始まる前日Shrove Tuesdayにパンケーキを食べる風習があるのだとか。

知りませんでした〜!!
頂いたメールを読みながら、
「へぇ〜!!へぇ〜!!」
と、机の上の架空の「へぇボタン」を連打していた私。
ブログの読者さんにこのような形で謎を解いて頂けるなんて、感激です!

そんな訳で、昨日はパンケーキ専用型を使ってパンケーキを焼きました。

まずはひつじ。

うし!

ぶた!

このような具合に朝から気合いを入れてアメリカン式パンケーキを焼いたのはいいのですが、

たった今、イギリス流のパンケーキというものが存在することを知りました。。。

(BBCウェブサイトより)

こちら。

アメリカンのパンケーキは日本の所謂ホットケーキよりも生地が薄めなのですが、イギリスのパンケーキは更に薄く、クレープのようなのです!!
しかも、上に砂糖とレモン汁をかけ、クルクルと巻いて頂くのがイギリス流なのだそうで。。。
ちなみに、この写真のパンケーキは恐らくゴールデンシロップをかけたものと思われます。



近所のスーパーでメイプルシロップを探したのですが、そのような名称のものは見当たらず、一番それらしいものがこちらのゴールデンシロップでして、うちでも今回はこのシロップを使用しました。

これはさとうきびやてん菜糖で作られたシロップで、イギリスではパンケーキやワッフルにかけるシロップといえば、ゴールデンシロップなのだとか。

(BBCウェブサイトより)

イギリスでは、パンケーキテューズデーにパンケーキレースなるものが毎年各地で開催されます。
ご覧の通り、フライパン片手にパンケーキをひっくり返しながら走るのですが、イギリスに来た記念に次回出場するのもアリかしら!?

2011年3月9日水曜日

Belgraviaをお散歩。

daylesford organicで昼食を取った後、Belgravia地区を散策。

この辺りは、インテリアショップやギャラリー、カフェなどが立ち並ぶとても洗練された雰囲気で、店のショーウィンドウを眺めながら歩いているだけでも感性が刺激される気がします。

この日は日曜日だったので殆どのお店が閉まっていましたが、次回は別の曜日にゆっくりと散策したいと思います。

ところで。
この写真の女性、誰だか分かる方〜♪

そう、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーです。
中学生の頃、映画雑誌からヴィヴィアンの写真を切り抜いて透明の下敷きに挟んでおりましたよ。。。
勝ち気で芯の強い女性に憧れていたんですよね〜。
ヴィヴィアン・リーもこの界隈にお住まいだったようです。

2011年3月8日火曜日

daylesford organic

博物館の後は、隣駅のSloane Squareで降り、徒歩8分程の場所にあるdaylesford organicのカフェで昼食。

グロスターシャー州にある独自の農園で作られたオーガニックの農作物や肉、ジャムやソースを販売するこちらのお店、ロンドン市内に4店舗展開しているのですが、去年の11月に東京の青山にも進出したそうです。

昼時は少々混んでいますが、待ち時間は1階食料品売り場で買い物を楽しみながら潰せます。
(席が空くと、ウェイトレスさんが1階まで呼びに来てくれます)

私が頂いたのは、ソーセージとマッシュポテト、オニオングレービーソース。
夫はエッグベネディクト、子供達はハンバーガーをオーダー。
肉は勿論のこと、付け合わせの野菜も新鮮でとても美味しかったです!

デザートに頂いたタルトも甘さ控えめで美味。
チョコレートアイスクリームも濃厚(多分、良い牛乳を使っているからでしょう)で絶品でした。

座席は、ドーンと置かれた大きな長テーブルに3組程が着席出来るようになっているのですが、
(ロンドンのレストランは、このスタイルの座り方が多いような。。。)
私達の隣に座った方達がとても優しいオーラを放ち、笑顔でうちの子達に絡んで下さいました。
初対面の人と腕が触れ合いそうな距離で同じテーブルを囲んで食事をするのって、普通なかなか落ち着かないものだと思うのですが、
この店は店員さんも外のお客さんもほのぼのとした雰囲気で、どなたかのお宅にお呼ばれした時のような、ホッコリとした気分になれました。

この日のお買い物。
パンと苺ジャム、チーズ、ポークソーセージ。

次回はスープやソースも試してみたいな。。。

2011年3月7日月曜日

Natural History Museum

今日は、Natural History Museum(自然史博物館)へ行って来ました。(この1ヶ月半で3度目)

目的は、前回混雑で見られなかった恐竜の展示を見ること。

「明日はぼく7時に起きるから、お父さんもお母さんもちゃんと起きてね」

この頼もしい言葉に、息子が起こしてくれることを期待していた私達。

ところが。

「わー!どうしよう。。。もう9時だよ〜!!」

朝から半無き状態の息子。

「じゃあ、また今度にして、今日は別のところに行こうか」

と私。

それでも納得のいかない様子の息子に、

「じゃ、今から急いで用意して行こう!」

と夫。。。


たまに、読者の方からのメールで「美紀さんのフットワークの軽さは〜」などと言って頂くことがあるのですが、
実は私はどちらかというとのんびりタイプで、うちで一番活動的なのは夫と息子なのです。
前日夜更かしをしてしまった私が寝ぼけ眼でメイクをする傍らで、子供達を着替えをさせ、いつの間にか娘のポニーテールまで完成していたりします(若干乱れ気味ですが)。

そんなこんなでバタバタと家を飛び出し、博物館に着いたのは午前11時ー。
入館料が無料なのは嬉しいのですが、そうなると人も沢山集まる訳で、既に正面玄関は長蛇の列。
別の入り口に回り、10分程並んで中に入り、恐竜の展示場へ足早に直行。

幸いそれ程の混雑ではなく、無事展示会場を見学することが出来ました。

前置きが長くなりましたが、そういう訳なので恐竜展示場をどうしても見たい方は、なるべく開館と同時に行かれることをお勧めします。

それにしても、男の子(男の人)ってどうしてこんなに恐竜が好きなんでしょうね。。。
爬虫類系が苦手な私には、どれを見ても巨大トカゲにしか見えなくてちょっと気味が悪いし、どれが何サウルスだとかよく分からないのですが、夫は次から次へと名前を挙げて説明をし始め、展示されていた恐竜のロボット玩具を見て「これ持ってた〜!俺も恐竜好きだったんだよね〜」などと感慨深げな様子。

でも、恐竜の骨が実はこんな風に金属で固定され、絶妙なバランスで組み立てていることだとか、

恐竜の皮膚の化石がこんなにリアルな状態で残っていることには、私も感動しました。

最後は、ティラノサウルスのロボットが吠えながらお見送りしてくれます。

この他にも、地球の仕組みや惑星に関する展示場、人体や地球上に生息する動植物に関する展示場など、見所満載の自然史博物館。
一日ではなかなか見きれません。

夕方自宅に戻り、私が夕飯の支度をする傍らで、たまたまテレビで放送していた『ジュラシックパーク』を鑑賞していた彼等。
息子は恐竜三昧で、大満足だったようです。

2011年3月4日金曜日

ひなまつり’11

引越し荷物がほぼ片付き、何とか無事お雛様を飾る事が出来ました。

ロンドンでは桜の葉が手に入らなかったので、桜餅は断念。
うぐいす餅に桜の塩漬けをあしらって、春らしくしてみました。

ひなあられと甘酒もお供えして。。。

この日の夕飯は。。。

まず、お通しを三種用意。

法蓮草のお浸しごまだれがけ、海老のぶぶあられ揚げ、里芋の含め煮。

蛤のお吸い物。

ひなちらし。

桜の葉、柏の葉、くちなしの実、みょうばん、葛粉、、、
海外にいると特殊な食材が手に入り難い(手に入ったとしても驚く程高かったりする)ので、次回帰国した時に備えて先の行事を見据えた買い物リストを作っておかねば。。。

2011年3月3日木曜日

幻のシャスタ山

前ブログで最後に少し触れたシャスタ山。
サンフランシスコから北へ車でおよそ4〜5時間の場所にある標高4322mの高峰で、セドナ山と並ぶパワースポットとされています。

特にガイドブックで詳しく取り上げられている訳でもなく、元々山登りにもスピリチャル系にもそこまで興味はなかったのですが、2年程前に親しい友人Yさんからシャスタ山から持ち帰った汲みたての水を頂き、私が毎日好んで飲んでいたホールフーズブランドの水も実はシャスタの水であったことに気付き、何となく興味を抱くようになりました。

その後も、親しくなった人達から次々とシャスタの話題が出始め、お会いしたことのないブログの読者さんから
「私の幼なじみがシャスタでレストランを始めたので、是非行ってみて下さい」
というメールまで頂き、
「私、もしかしてシャスタに呼ばれてる??」
と感じ始めました。

ずっと行こう行こうと思いつつ、月日が過ぎ、ロンドン行きが決まり、
「カリフォルニアを発つ前に、シャスタ山に行こう!」
と具体的な計画を練っていると、ご身内を亡くされたばかりで急遽日本に帰国することになったご近所さんのS子さんが
「シャスタへ行くのなら」と、廃盤になった貴重なシャスタの本を携え、自宅までお別れのご挨拶に来て下さいました。

その二日後ー。
ロンドンに発つ前にお茶でもと、友人YさんとMさんを自宅に招くと、

「今度シャスタに行こうと思うの〜!」

と、Mさんが鞄の中から、私がSさんから借りたもの全く同じシャスタ本を取り出して見せたです。

「私もついこの間手に入れたところよ!」

二人して同じ本を突き合わせ、興奮状態に。
この日は3人でシャスタ話で盛り上がり、「現地で落ち合おう!」という話にまで発展しました。

ところが、出発当日ー。

朝から体調が優れず、おまけに悪天候。
それでも、どうしてもシャスタにだけは行っておきたくて、「何としてでも気合いで行ってやる!」と家を出発。

40分程経過し、オークランドに差し掛かったその時。

「車がおかしい」

と夫。

急いでハイウェイを降り、車修理工場へ。。。

「このまま走行して渋滞に巻き込まれでもしたら、オーバーヒートを起こしてしまう」

と診断され、宿も予約していたレストランもキャンセルし、泣く泣く自宅に戻ることとなりました。

いつも理性でしかものを考えないタイプの夫も、「こんなことってあるんやな〜」と不思議がる様子。

これは「今日はこっちに来るな」という意味かもしれない。。。
今回は無理だけれど、いつかまたシャスタに導かれる日が来るだろう。

そんなことを考えながらベッドで塞ぎ込んでいると、
突然電話が鳴り、大切な人の訃報を知らされたのです。

急いで支度をし、知らせから二日後、私一人日本へ帰ることとなりました。

いつもは関空までの直行便を利用するのですが、この時取れたチケットは成田経由伊丹行き。
およそ11時間のフライトを終え、今度は成田で小型の飛行機に乗り換え、
悲しみに暮れながら窓の外をぼーっと見ていると、
夕焼けで真っ赤に染まる西の方角に、富士山が夕陽の逆行を受ける形で目に飛び込んで来たのです。
それはそれは神々しく、幻想的な風景でした。

実はシャスタ山と富士山は、天然水にバナジウムという特殊な成分が含まれているなど様々な共通点が指摘されていて、
姉妹に例えられる程繋がりが深いと山とされているのです。
(詳しくは、こちらのブログをご覧下さい→『シャスタ便り!』
そんな話を小耳に挟んでいただけに、雄大な富士山に迎えられた時は
「そういうことだったのね。。。」と、思わず涙が込み上げて来ました。


上の写真は、私が日本に帰国してからYさんが送ってくれたシャスタの写真。

こちらは同じくYさんが撮影したサンフランシスコの虹の写真です。
(これが実はダブルレインボーだったそう)

ただ「パワーを送るね」と短いメッセージだけが添えられたこれらの写真に、どれ程励まされたことか。。。

Yさん、本当に有り難う。

2011年3月2日水曜日

Science Museum


こちらに来てからとうもの、週末は必ず博物館か公園に繰り出している我が家。
週末が近づく度に「博物館に行きたい!」とチビ達に催促され、
このScience Museum(科学博物館)とNatural History Museum(自然史博物館)に至っては、この2ヶ月間で2度訪れています。

というのも、ロンドン市内にある博物館の殆どは入場料が無料!
うちの子供達の年齢は地下鉄代も無料なので、気軽に遊びに行けるのです。
子連れ家族にとって、こんなに嬉しいことはありません。

ワットの蒸気機関の実物。
私が6歳だった頃にこれを見ても「何コレ?」程度のものだったと思うのですが、チビ太は興味津々の様子。


そういえばついこの間のこと。

「ぼく、おじいちゃんには長生きして貰いたいんだよね〜。
ぼく、大きくなったら、おじいちゃんと一緒に機械やロボットを作りたいんだ。
それまで元気でいて貰わないと」

と突然語りだしたチビ太。

挙げ句の果てに、

「将来は日本に住むんだ。だって、機械やロボットを作るなら日本が一番でしょ」

「おじいちゃんはどこの大学に行ったの?僕もそこに行きたい」
とまで。。。

さすがに、工学系の義父から、頭の渦の数から手相までしっかりと隔世遺伝しているだけのことはあります。

そういえば、大好きなハナちゃんに
「私、大きくなったらパン屋さんいなりたいの」
と言われた時も、

「じゃあ、ぼくはハナちゃんと結婚して、パンを焼く機械を作るから。それで、ぼくが作ったロボットがパンを売るの」
(自分でパンを焼いたり売ったりしたいハナちゃんの夢を君が奪ってどうする!?)
とも言っていたっけ。。。

そんなメカ好きの彼にとって、ここは天国のような場所なのです。

そして、この博物館の最近の目玉とされているのが、3D映画館。
時間によって上映される映画が違うので、予めウェブサイトをチェックして行かれた方が良いかもしれません。
(※3D映画館は有料です)

この日は、海底の生物たちの映像を鑑賞。
迫力満点で、チビ達は迫り来る魚達やクラゲを掴もうと手を伸ばしていました。
それにしても、彼等にとっての初映画が3D映画だなんて、、、時代は変わりましたね。

館内のレストランも、どこか近未来的な雰囲気。

ハイチェアに座ったベビー達が大人になる頃には、どんな世界になっているのでしょうね。

2011年3月1日火曜日

Borough Market 3

2週連続で行ってしまったBorough Market。
完璧に、虜になってます。。。

アメリカ人に比べ、イギリス人の方が魚を好んで食べるせいか、こちらは鮮魚の種類も充実している気がします。
回転が良い分、鮮度も良さそう!

この日の戦利品。
アメリカでなかなかお目にかかれなかった、エシレのバターが£3(現在の為替で換算すると日本円で400円相当)で買えるだなんて!
日本で買うと、大体5倍位はします。

そして、閉店間際の叩き売りで半額になっていたムール貝。

あとは、オリーブにパン、キッシュなど。

そんな訳で、この日の晩のメインディッシュは、ムール貝のマリニエール(白ワイン蒸し)。

沢山買って重い思いをして帰ってきた筈なのに、子供達が猛烈な勢いで貪り、あっと間になくなってしまいました。。。

この料理に外せないのが、マッチスティックポテト。
マッチ棒のように細く切ったポテトをカリッと揚げたもの。
うちでは、塩以外にニンニクとパセリのみじん切りも振りかけ、ガーリックフライにしてしまいます。

ボウルの底に残ったスープに、パンを浸して食べる喜びといったら。。。
ただ、パンはバケットにしておくべきだったな。