2011年8月31日水曜日

Afternoon Tea at The Ritz


2週間前にお兄ちゃんがパパとサッカー観戦に出掛け、娘が置いてけぼりだったので、この日はチビ子と義妹の女子限定でアフタヌーンティーへ。


チビ子はノンカフェインのルイボスティーをオーダー。
一丁前に紅茶とお菓子を嗜み、気分はすっかりレディの様子。

お茶は勿論、お菓子もサンドウィッチもとーっても美味しかったです。

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2011年8月27日土曜日

巣籠り出産 〜英国自宅出産体験記⑥〜




無痛分娩が主流の海外で、「自宅で自然分娩で産みます」というと周囲のママから「どうしてまた?」と聞かれることが時々あります。

改めて自問自答してみたのですが、これには私自身がこれまで歩んできた人生が大きく影響しているのかもしれません。

仮死状態でこの世に生を受け(私の母子手帳には、安産、蘇生、死産のうちの「蘇生」に丸が付いています)、これまでに二人の家族を失い、二人の子供を産む中で、恐らく他の同世代の人達よりも「生」や「死」というものに直面する機会は多かった方だと思います。

人の生死と向き合ううちに、自分が生きているのは決して当たり前のことではないということ、自分は「生かされている」ということを知り、自分と赤ちゃんの「生」を改めて自覚したい、自分が与えられた産む力(これも生命力のひとつだと思うのです)を最大限に使いたいという思いが強くなりました。

(勿論、ハイリスクなお産や緊急時にはそれに対応可能な設備の整った病院が必要ですし、私自身、万が一の時には助産師や産科医の指示に従い、病院での処置も「運命の導き」として受け容れるつもりでいました)


無事出産を終えた今、自分の人生における貴重な体験を記録しておくことにします。


病院で10分に1回の陣痛を確認後、帰宅したのが7月22日金曜日午後のこと。
この日のうちの出産かと思いきや、陣痛が強まることなく日が明けて土曜日に。

陣痛といってもこの時はまだ穏やかな痛みで、果たしてこの状態でどのように過ごすべきなのかと、元助産師の友人Yさんに相談。

「陣痛が来てる時も、本来、ぐぅ~っと押し出されるほどの痛みや、収縮の来てる時以外は、動いていいんです。
病院だと、分娩監視装置や、点滴をつけるので、ベッドで安静にしてもらって、管理しなければならないのですが・・・。
痛みにあわせて、自分が楽だと思う体勢になって、マッサージしてもらったりするのが、本当は一番いいんです」

とのアドバイスを頂き、床の拭き掃除をしたり、作りおきの料理を準備したり、いつもと同じように過ごしていました。
赤ちゃんが産まれる迄に済ませておきたい仕事が出来た上、巣作り感覚で家の中を整えることによって、ソワソワした気分が解消された気がします。
新しい命を迎える神聖な儀式を前に、家の中を掃除で清め、家中の電化製品の電源を落とし、環境を整えていました。

金、土曜日はそれぞれ当直の助産師さんが様子を見に来てくれたのですが、
「赤ちゃんはまだお腹の中が心地よくて出てきたくないみたい。今日はゆっくり睡眠をとってお産に備えて」
など、どの助産師さんも私と赤ちゃんの状態を敏感に感じ取り、距離の置き方を心得てくれている様子でした。

そんな強力な味方に見守られつつ、分娩に至るまでの丸二日は、弱い陣痛を感じながら終始リラックスモード。
庭でお茶を飲んだり、ラベンダーオイルを垂らした湯船に浸かったり、本を読んだり。。。
欲しいものがすぐ手の届くところにあり、勝手気ままに過ごせるのは、自宅出産の良いところ。
そよ風に吹かれて響くウィンドチャイムの音色や小鳥のさえずり、娘の歌う声、お味噌汁の匂い、それら全てがリラックス要因となって、過去2度の病院出産とは全く違う過ごし方となりました。
病院という空間はどうしても緊張してしまいがちですが、「自分のテリトリー(自宅)にいる」というのはこれ程までに気分が違うものなのかと実感。
安産には「適度に動くこと」そして「リラックス」がとても重要で、この間に緊張感やストレスを感じたりすると、自然な陣痛の波が止まってしまうこともあるのだとか。ストレスは母乳にも影響しますし、産前産後の女性の体というのはそれ程デリケートだということなのでしょう。

こんな風に、マイペースでゆったりと過ごす中、日曜日の夕方に自然破水。
二人目の時同様、破水後に急激に痛みが増し、
「よーし、いよいよだ~!」
という気持ちに。

今回はとにかく「赤ちゃんや自分の体との対話に集中しよう!」という気持ちで、「自分自身も大自然の中のひとつの生命体である」というイメージを頭の中で常に描いていました。
激しい陣痛も「赤ちゃんが生まれようとするエネルギー」とポジティブに捉えれば、痛みも喜びに感じられるはず!と自分に言い聞かせて。。。
たまたま最近「自分の思考や感情を如何にコントロールしてポジティブな方向にもっていくか」が私にとっての仮題となっていて、今回のお産に於いても自然とこうした思考になったのですが、後にこれがソフロロジーの思考法そのものであったことを知りました。

これまでは病院で分娩監視装置を付けた状態でのお産で、装置が表示する波形を助産師さんが確認し、出された合図に従っていきんでいたのですが、今回は分娩監視装置のない状態でのお産。
意識が朦朧とする中、陣痛の波を自分自身で捉えていきまなければならなかったので、とても集中力を要しました。
近代的な機械はお産の安全性を高める上で有効ですが、それに依存しすぎて「自分で産む力」が退化してしまっていたのかもしれません。
年齢に伴う体力の低下も影響していたのでしょう。(もっと体力を鍛えておくべきでした)
過去2回に比べて分娩に思いの外時間がかかり、七転八倒の状態に。
でも、自分の胎内に押し寄せる陣痛の波を捉えようとしているうちに、まるで自分の体内(胎内)が波打つ海そのものであるような、不思議な感覚が湧き上がってきました。
「母なる海」という表現がありますが、「海なる母」という表現も可能かもしれません。
この感覚は、3度目のお産にして初めての体験です。
これまでサーフィン好きの夫が波を愛する理由がいまいち解せなかったのですが、波を捉え、大自然と調和する心地良さ、素晴らしさが今はなんとなく解る気がします。

助産師さんの懸命の励まし、そして何よりも夫の支えられながら(精神面だけでなく、肉体面でも夫の体にしがみ付いた状態でした)分娩も最終段階に。

「もうすぐ赤ちゃんに会えるよ~!」
と夫が子供達に知らせた瞬間。

娘(3歳)が、おもちゃのベビーカーにニット帽を被ったテディベアを乗せて私達の部屋に突入!
(兼ねてから「赤ちゃんが生まれたら私が赤ちゃんの時に被っていたニット帽を被せてあげるんだ」と張り切っていました)



こうしたハプニングも自宅出産の醍醐味なのか、余りにその姿が可笑しくて、極限状態の中にあるにも関わらず、プスス!と噴き出してまいました。

最後の最後は、私の波のピークを夫がダイレクトに感じ取れる状態になり、二人で息を合せて汗だくになりながら産み出しました。

うちは一人目のときから当たり前のように立ち会われていたのですが、回を重ねる毎に夫婦の絆も深まり、お互いに一層感謝し合える関係になれた気がします。

生暖かい赤ちゃんを胸に抱き、そのままベッドの上でゆっくり休めるのも自宅出産の嬉しいところ。
(お産の直後は骨盤が安定していないので、暫く動かない方が母体にも良いそうです)

また、私だけでなく、夫や子供達の生活のリズムを崩すことなくリラックス出来るのも自宅出産のメリット。
子供達に寂しい思いをさせることありませんし、彼等も赤ちゃんが産まれる過程を身近で感じられ、自然に赤ちゃんを受け入れることが出来たせいか、特に3歳の娘は率先して赤ちゃんのお世話を手伝ってくれています。

あと今回驚かされたのは、産後に助産師さんの方から
「胎盤やへその緒はどうする?キープしておく?」
と聞かれたこと。
アメリカでは何も言わずに持って行かれたので、これにはびっくりしました。
以前、美容と健康の為に胎盤を保存して自分で食べる女性がいるという話は聞いたことがありましたが、流石にその勇気はないので、胎盤は持ち帰って頂き、日本の伝統に則ってへその緒を10センチ程頂きました。

分娩はこれまでの中で一番時間がかかりましたが、縫合処置の必要もなく、心安らかな産前産後を過ごせたという意味で「安産」だったと思います。

「あなたを産む時は本当に大変だったのよ」
「あなたは私がお腹を痛めて産んだ子なんだから」

今は亡き母から、ことある毎にこの言葉を聞かされ、

「自分が女であることで、そんな痛い思いをしなくちゃならないなんて、、、」
「男に生まれていたら、死にそうな程痛い思いをしなくて済むし、男として生きる人生の方がなんだか面白そう」

なんて思ったこともあったけれど、

「こんな刺激的で素晴らしい体験が出来るなんて!女として生まれてきて良かった!!」

今は心底そう思えます。


お母さん、私を産んでくれてありがとう!




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2011年8月17日水曜日

アフリカンな助産師さん 〜英国自宅出産体験記⑤〜


初めてイギリスの産科で受診した時のこと。

この日の助産師さんは、アフリカ系の陽気でお喋りなFさん。
サバンナで10人位子供を引き連れてそうな、肝っ玉母さん的女性です。

まずはじめに問診をされたのですが、既往症の有無やこれ迄の病歴、一人目と二人目のお産の状況、家族の病歴など、かなり細かい質問を受けました。
数ページに及ぶ問診票の記載が終わるのに、1時間近くかかった気がします。

この日は夫も一緒にいたのですが、予想以上に時間がかかるので、
「この調子では息子の学校のお迎えに間に合わない」
「どうする?」
などと二人であれこれ相談していると、
「御主人が今から車で息子を迎えに行って、貴方は後からタクシーで帰ればいいのよ!」
とすかさずFさん。
彼女の仕切りっぷりに圧倒されつつも、
「はい、そうします」
と即答。
この時何となく、
「どんな問題が生じても、この人なら臨機応変に対応してくれそうだな〜」
と、Fさんに対する信頼感が湧きました。

さて、産科の問診は今回が3カ国目。
(一人目の時、妊娠初期は日本に居たので日本の産院で問診を受けたこともあります)
どの国でもお腹の子の父親に関する質問を受けたのですが、この質問の方法が三者三様なのです。

日本の産院では「結婚・・・されてますよね」としか聞かれなかったところが、
アメリカでは直接問診票に「結婚している・シングルマザー・離婚調停もしくは別居中」いずれかに○を付ける・・・といった具合。
それが今回のイギリスでは、「お腹の子は夫の子か?」ときた訳です。
余りの直球ぶりに一瞬たじろぎつつ、「はい」と答えたのですが、
「でも、本当のところは誰にも分からないよね。ガッハッハ〜!!」と笑い飛ばされる始末。
確かにこの段階で確認のしようがないんですけどね。。。
この時夫はたまたま外で電話をしていて席を外していたのですが、もし同席していたらどんな顔をしていたことでしょう(苦笑)

問診が一通り終わり、自宅出産を希望している旨を伝えると、
「自宅出産、いいわね!今回は3人目だし、これ迄のお産も特に問題がないみたいだから大丈夫でしょう」
と、あっさりOK。

その後の診察も助産師さんが自宅まで毎回来てくれることになり、小さな子供のいる私にとってはこれが非常に助かりました。
私がお世話になった病院(NHS 国立病院)では、周辺地域をグループ分けし、レッドチーム、ブルーチーム、グリーンチーム。。。といった具合に数人の助産師がチームを作って、担当区域の妊産婦を持ち回りで診察するシステムになっています。
自家用車で各家々を周る助産師さん達。
中でもFさんの携帯電話はひっきりなしに鳴り響き、妊婦さんや仲間の助産師さん達とのやりとりに大忙しです。
その都度テキパキと指示を出すFさんの様子を見ているうちに、
「この方はきっと皆から頼られる存在なのだろうな〜。この豪快な笑い声を聞いていたら本番の痛みも吹き飛びそう。出来ることならFさんに取り上げて貰いたい」
と、更に親近感を抱いてしまいました。

残念ながら、出産当日はFさんは休暇中で取り上げて貰うことは叶わなかったのですが、産後に休暇の合間を縫って様子を見に来て下さいました。

この日はいつもと違い、鮮やかな刺繍の施されたアフリカの民族衣裳に身を包んで現れたFさん。
丁度イスラムのラマダン期間中で正装をされていたようで、生まれて間もない娘を抱き上げ優しく語りかけその姿は、まさに私の思い描いていたアフリカの肝っ玉母さんそのもの!

一通りの診察を終え、記録をつけようとカルテを開かれたのですが、
娘の誕生日を確認するなりFさんが突然驚きの表情に。
「なんてことなの!この日は私と夫の結婚記念日だったのに、すっかり忘れてたわ!!去年結婚したばかりなのに私も夫も忘れてるなんて〜!ガッハッハ〜!!」
と、またもや大爆笑。
なんでも若い頃に前夫を亡くされ、女手ひとつで2人の子供達を育て上げ、去年再婚されたとのこと。
Fさんの逞しさの裏にはそうしたご苦労があったこと、仕事もプライベートも前向きにガムシャラにこなしてこられたことが垣間みられた瞬間でした。

最後の往診だったこの日。
Fさんと会えるのもこれで最後なのかと思うと少し寂しい気持ちだったのですが、玄関の扉を開きながら去り際に
「で、4人目はいつ産むの?」
とFさん。

そんなこと言われたら、また産みたくなっちゃうじゃない。。。

明るく清々しい別れの挨拶に、一層胸が熱くなってしまいました。



〜この数日後〜

帰宅するなり、

「あぁ、、、今年初めて忘れてしもたわ。。。」

と夫。

「あっ、そういえば、そうやったね!私も忘れてたわ。今年は出産で忙しかったからね。」

「美紀は毎年忘れとるやん。」


Fさんが訪れた次の日は、私達の7回目の結婚記念日だったのです。
あの時、Fさんと一緒になって笑ってる場合じゃなかったんです。。。



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2011年8月10日水曜日

私が自宅出産を選んだ理由 〜英国自宅出産体験記④〜



私が自宅出産に興味を抱くきっかけとなったのは、長男を妊娠していたおよそ7年前、当時勤めていた会社の先輩Mさんと食堂で交わしたやりとりでした。

ご自身の3人目のお子さんを自宅で出産された時のエピソード、
戦前の日本では自宅出産が当たり前だったのが戦後GHQの圧力により法律が変えられ、日本のお産婆さんの役割が理解されないまま産婆制度が解体されてしまったこと、
改革によって乳児・妊産婦死亡率が改善し、今まで助からなかった多くの命が救われるようになった一方で、
医療技術に頼り過ぎた管理過剰な分娩への疑問も妊産婦や医療関係者の間で生じ始めていること、
自然の営みという原点に立ち返った「自然なお産」が今注目されてきていること、
母乳育児が一筋縄ではいかないこと、
などなど、お産に関する様々なレクチャーを受け、既に妊婦でありながらお産について知らないことだらけだったことに軽いショックを覚えました。

その後妊娠6ヶ月でアメリカに渡り、今度は二人のお子さんを自宅で出産された元助産師のYさんと出会い、再び自宅出産の話や日本の病院の産科事情などを伺うこととなったのです。
Yさんとの出会いで更にお産の奥深さを知り、「自宅出産」という選択肢もあることを意識し始めたのですが、
この時は結局、慣れない異国の地での出産ということもあり、病院で出産。
経験豊富で誠実な産科医の元で安心して産むことが出来ました。
ただ今振り返ると、この時は初めてのお産で、異国の病院の雰囲気に完全に飲まれ「まな板の上の鯉」の様な状態だった気もします。

一人目を出産後、Mさんのご忠告通り、母乳育児の壁に早速ぶち当たることに。
この時私を救ってくれたのが元助産師のYさんでした。
「赤ちゃんのお母さんは美紀さんだけなんですから、自信を持って!」
この言葉にどれ程励まされたことか。。。
Yさんが心に寄り添ってケアして下さった御陰で、母乳育児を軌道に乗せることが出来ました。

その後Yさんは御主人の仕事の都合で日本への帰国が決まり、暫く会えない状態に。
その間に私は二人目を出産。
二人の子供達にそれぞれ1年半、トータルで3年間の授乳生活をする中で、自分の中の野生がかすかに目覚めはじめました。

そうして去年、夫のロンドンへの赴任が決まると同時に三人目の妊娠が発覚。
イギリスの出産事情を調べているうちに、国立病院(NHS)専属の助産師のもとでで自宅出産を選択出来ることを知り、
「今度こそ自分の巣で産んでみたい!」という思いが一気に沸き上がってきました。

更にそんな折、なんとYさんご一家も日本からロンドンへ赴任されることになり、この地で4年振りの再会を果たすこととなったのです。
このタイミングでYさんが再び私の傍に現れるだなんて!
もう、これは導かれてるとしか思えない。
やるしかないでしょう!!

このような具合に、私の「イギリス自宅出産計画」が進み始めました。


〜次回につづく〜


*写真は、Yさんが贈って下さったダイパーケーキです。(アメリカではベビーシャワーのお祝いにオムツで作ったケーキを贈る習慣があります)

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2011年8月4日木曜日

出産と女性の権利 〜英国自宅出産体験記③〜


お産の日から遡ることおよそ一ヶ月前、うちにやって来た大きなコンテナ。
その正体は。。。

ホームバースボックス。
中には、自宅出産で使用する医療器具が収められています。



リストを見ると、、、
医療用手袋にシート、コードクランプ(へその緒を閉じるクリップ)、プラセンタ(胎盤)バッグなどなど、ありとあらゆる物がこの中に収められています。
(お産当日はこれに加え、緊急時用の酸素ボンベなども用意されていました)

この箱を家まで持って来てくれたのは、前回の記事で訪れた病院専属のミッドワイフ(助産師)。
イギリスの国立病院(NHS)では、お産する場所の選択肢の中に自宅出産があり、いざという時には病院と連携を取り、搬送されるシステムが整えられています。
この日は、ホームバースに備えての事前視察も行われ、分娩予定の部屋の広さやバスルームなど水回りのチェック、また自宅付近が緊急車両が通れる状況かどうかなどの確認作業が行われました。

お産にあたって、この国では「貴方はどうしたいの?」「水中出産用のプールは用意して欲しい?」など、しきりにこちらの要望を聞かれます。
アメリカの病院でもバースプランが立てられ、極力妊婦の意向に沿う形が取られましたが(上の子達二人はアメリカで出産しています)、イギリスはそれ以上。
リスクが伴わない限り、極力妊婦の希望を汲んでそれに合わせる姿勢が取られるのです。
公共の医療機関でここまで選択肢が広く、しかも無料だなんて!!
最初は信じられなかったのですが、よくよく調べてみると、どうやらこの国では「女性が自分の身体について決める自由、出産の場所を自由に選ぶ権利を尊重すべき」という考え方が根底にあるようです。
当然、自由にはそれなりの責任も伴う訳ですが、
「自分のことは自分で責任を持って決めたい」「人から自分の身体(プライベートなこと)について過剰に介入・管理されるのが大嫌い」な私にとってはこうした風土がこの上なく心地良く、爽快でたまりませんでした。


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2011年8月3日水曜日

不思議なインド薬局 〜英国自宅出産体験記②〜


皆様、ご無沙汰しております。
前回の投稿の二日後、無事娘を出産致しました。

色々と書きたいことが山程あって、何からお話すれば良いのか分からないのですが、
ひとまず、あれからの展開を綴らせて頂きます。

22日金曜日午後、予定日超過ということで、胎児の心拍確認の為Royal Free Hospitalへ。
この病院はNHSというイギリスの公共の医療機関なのですが、ここの駐車場はいつも満車状態。
いつもの如く、少し離れた公園の駐車場に車を停め、歩くことに。

その道すがら、独特の雰囲気を醸し出す薬局に遭遇。
店の名前は、The House Of Mistry
吸い込まれるように中に入ると、薄暗い店内にはガネーシャ(象の顔をしたインドの神様)の絵が飾られ、
自然派食品やこれ迄に見た事もないようなホメオパシーのレメディが所狭しと並んでいるではありませんか。

「こういう店、好きかも。。。」
興味津々でレメディの棚を眺めていると、インド人の男性店主に
「何かお探しですか」
と声を掛けられ、
「陣痛を促進するレメディで何かお勧めのものはありますか?」
と訊ねると、
「予定日を過ぎてるんだね。レメディならこのCaulophyllumがいいよ。あとはクラリセージのエッセンシャルオイルやラズベリーリーフティーがいいよ」
という具合に、余りに卒なくスラスラと説明されてビックリ。
只ものならぬオーラを醸し出す店主に圧倒されつつ、一番のお勧めというレメディを一瓶購入することに。

店を出て早速二粒口に含み、いざ病院へ。
特に何の医療処置も受けることなく、この日はただ分娩監視装置(お腹にベルトを巻き、胎児の心拍数と陣痛の周期を確認する装置)を装着した状態で30分観察することになったのですが、ベッドに横たわった数分後ー。

突然お腹が動きだしたかと思えば子宮が収縮し始め、監視装置が大きな波を描きながらピーコンピーコン!と鳴り始めたではありませんか。
更に10分後、20分後にも波が訪れ、周期的な陣痛が来ていることが確認出来たのです。

実は、今回は予てかから自宅出産を希望しており、予定日を過ぎてからは一刻も早く陣痛が来て欲しいと待ち詫びていました。

看護師さんから
「陣痛来たわね!家に帰る?御主人が運転してくれるから大丈夫よね!」
と笑顔で見送られ、「病院で陣痛を確認してから家に帰る」という通常と逆パターンの行動を取ることに。

あの薬局で購入したレメディによる効果なのかどうかは分かりませんが、ひとことお礼を告げたくて、帰りに再び店に立ち寄ることに。

「陣痛来ました!!どうも有り難うございました!」
と若干はしゃぎ気味の私に対して、
「ああ、そう。」
とニヒルな笑みで返す、至ってクールなインド人店主。
愛想はイマイチだけど、やっぱりこの店好きかも。。。

ちなみに、この時薦められたのがCaulophyllum(和名:ルイヨウボタン)というレメディなのですが、
よくよくラベルをみると、一部手書き、更に製造元が「The House Of Mistry」と記載されているではありませんか。
ホメオパシーは様々なメーカーのものがありますが、どうやらこのレメディはこの店のオリジナル商品のよう。

店のウェブサイトを調べてみると、Dr. Mistryというアフリカ育ちのインド人ドクターが30年程前にこの地域で開業した薬局とのこと。
ホメオパシーやアーユルヴェーダなど、自然の植物を利用したレメディを開発、更にボディケア用品や肥料に至るまで、オリジナルの商品を幅広く展開されているようです。

さて、そんなこんなで出産態勢に入った金曜日。
ここからの展開、イギリス自宅出産事情については、また次回に続きます。

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