2011年3月22日火曜日

頑張れ福島、頑張れ東北、頑張れ日本!!

皆様、ご無沙汰しております。
ご存知の方もおられるかと思いますが、
この度の震災では、かつて私が働いていた福島であのような事故が起こり、
情報確認や知人とのやりとりで、連日テレビとPCから離れられない状態でした。


この度の東日本大震災で亡くなられた方へ、
心よりご冥福をお祈り致します。
そして被災された方々が、一日も早く心の平安を取り戻されることをお祈り申し上げます。


私は過去に、福島県内の某ローカル局に勤めていたのですが、
新人時代、上司から言われた言葉が今になって蘇ります。

「福島には原発があり、その傍で暮らしている人々は、常に危険と隣り合わせの生活をしているんだ。そして私達は、いざとなったら全社員が報道部員となり、職務を全うする責任がある。そのことを肝に銘じて、しっかり勉強しておくように」

そう言われ、取材がない時は地元誌の原発関連の記事のスクラップを始め、
関連書籍を読み漁っていただけに、
今回このようなことになってしまい、居ても立ってもいられない状態でした。

現役時代は、福島は勿論、東北各県を取材で飛び回り、
沢山の地元の方々との出会いがありました。
その殆どは一期一会でしたが、
私にとってはどれもこれも大切な思い出ばかりで、
「あの時のあの方はご無事かしら」「あの場所は今頃どうなっているのだろう」
などと、今も気になって仕方がありません。

距離は離れていますが、何か自分に出来ることはないかと思い、
以前お世話になった福島の某農業団体のウェブサイトに駄目もとでメールをしてみたところ
お返事を頂きましたので、そのやりとりをここで一部ご紹介させて頂きます。

〜3号機への放水が終了する前日の3月17日、東北地方が一段と冷え込んだ日〜

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◯◯会 H様

(前略)

その節は、大変お世話になりました。
取材の最後に炬燵を囲んで頂いたお料理の美味しさと、何とも言えない幸福感、
今でも忘れておりません。

私は6年前に退職し、今主人の仕事の都合でイギリスで二児の母
(お腹にもう一人おります)をしております。

この度の地震で皆さんのことを思い出し、
日本の美しい古里を思いつつ、涙が溢れました。

皆さん、いえ、出来れば福島中、東北中の農業に携わる皆さんにお伝えしたいことがあります。

決して希望をお捨てにならないで下さい。

これからの日本を立て直すには、皆さんが長年培われた農業の技が必要です。

将来の日本を担う子供達を、このまま飢え死にさせる訳にはいかないのです。

日本に耕す土地がある限り、耕し続けて下さい。

下記のサイトによりますと、放射能には味噌などの大豆類とワカメなどの海藻類を一緒に採るのがとても良い
そうです。

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

福島は特に、ゆず味噌など、味噌を使った郷土料理が沢山あり、
普段からそうしたものを食されている皆さんの体は、
自然の恵みで既に守られ、これからも守られることと信じております。

今、海外のニュースでは、
「日本では何故このような極限状態の中で略奪が起こらないのか、
配給の列にきちんと並び、避難所で食べ物を分け合っているのか
日本人は冷静で秩序正しく、いざとなれば皆で助け合う、素晴らしい人達だ」
と報じられています。

避難所で輪になって暖を取り、取材で訪れたアメリカ人女性記者におせんべいを振る舞うおじいさんの姿を見て胸が熱くなり、
皆さんのことを思い出しました。

こうした昔ながらの日本人の心を残されている東北の皆さんの姿が、
今、世界中の人々の心を動かしているのです。

どんな辛さにも静かに耐え忍ぶ、日本の侍魂、東北人魂を誇りに、
何としてでも生き抜いて下さい。

私は母として、これからどんなことがあっても子供達を守り抜き、
日本立て直しに貢献できるような人間に育てるつもりです。

それでは、
またいつの日か、お目にかかれることを楽しみにしております。


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メールを頂きまして本当にありがとうございます。
WEBサイトの担当をしておりますHと申します。

◯◯会で生産している主要な方に頂きましたメールを
ファックスいたしました。大変励みになります。

これだけ広い範囲で揺れた地震はかつて経験したことがありません。

この周辺は地震で窓が外れたり、棚のものが落ちたりということは
ありましたが、けが人などは分かっている範囲では幸いございませ
んでした。

海沿いの町は壊滅的な被害が出ていて、加えて原発事故で大騒ぎに
なっております。滝桜で有名な三春町にも
たくさんの人が原発避難域から避難してきています。

白河では、土砂崩れで10数名の方がなくなりました。

原発事故による電力不足で、計画停電など戦後にあったような話ら
しいです。

もっと悲惨なところがあるので、まだよかったと捉えて頑張るよう
にしたいと思います。

「◯◯会」窓口担当H様

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そして、元職場でお世話になった先輩男性社員達からもメッセージが。

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「17日から、19時から四時間半福島ローカル放送始めました。18日は19時から24まで五時間福島のためにやります。やりがいに満ちています。」(報道部員)

「今から報道部員として福島に向かいます」(東京支社営業社員)

「今は営業の私も地震以降、報道部の応援です。原発の問題は現在も命がけのミッションが続いていて予断を許しません。
くじけそうになっている人たちも大勢います。町じたいがなくなろうとしています。
でも立ち直らなければなりません。
福島への想いが集まれば集まるほどパワーに変わります。
応援してください。」(郡山支社営業社員)

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命がけで原発事故現場の作業に当たられた作業員の方々はじめ、
救援隊など、様々な形で職務を全うされた方々。。。

見えない恐怖を抱えながらも、地元を愛し、力強く前へ進もうとされる皆さんから、
「勇気」と「希望」を持つことの大切さを教えて頂きました。

そして、自然と共に美しく生きる東北の人々から、
本当の豊かさとは何かを教えて頂きました。

東北はいつの日か必ず見事に立ち直ると、確信しています。

今の私を育てて下さった東北の皆さんに、心から感謝を申し上げると共に、
一日も早く平和な生活が訪れることを、お祈りしております。